ながつま 昭
ながつま 昭

ながつま 昭 (長妻 昭)

なぜ、国会議員になったのか

 私は、大学卒業後、NECに入社して汎用コンピュータの営業マンを5年間した後、 日経BP社に途中入社して、「日経ビジネス」という雑誌の記者を4年間しておりました。 記者時代、「不良債権問題、日本経済の時限爆弾」という特集記事のため、 官僚や政治家を取材しました。
 そこでの衝撃が、私が政治家になったきかっけです。当時はバブル経済が崩壊して、 銀行の不良債権問題が騒がれていました。
 しかし、官僚や政治家は深刻な問題とは理解せず、手をこまねいて傷口を広げてしまいました。 その後、失われた20年ともいわれる景気低迷を招いてしまいました。 もはや官僚や既存政治家には任せておけない、自分が政治の世界に入って世直しをしよう!
これが、私の政治家としての原点です。

経歴

誕生

1960年6月14日

東京都練馬区で祖父・父とも警察官の家に生まれる

小学校

練馬区立開進第二小学校

自転車が大好き:友達と自転車で遠くまでサイクリング
動物や魚が大好き:休みの度に石神井公園で魚・ザリガニ取り
科学やSF小説が大好き:友達と科学教室に通う

中学校

練馬区立開進第二中学校

映画とビートルズが大好きになる

高等学校

東京都立練馬高校

学校のイベント企画や豊島園のアルバイトに楽しみを見出す
ハンドボール部・バトミントン部所属

大学

慶応大学法学部法律学科

音楽クラブ(リアル・マッコイズ)でバンド活動 新田ゼミで民法を猛勉強
リクルートでの長期アルバイトは貴重な経験

NEC時代

NEC入社

汎用コンピュータの営業 営業マンとしての基礎を叩き込まれ、それは一生の財産になる

日経ビジネス記者時代

日経BP社入社

日経ビジネス記者(最初は電機メーカー担当、後半は金融、官僚機構、政治担当に)
不良債権問題、官僚、「敗軍の将、兵を語る」などの取材を通じて世の中の仕組みの一端を知る。知らないことばかりで驚きの連続
取材を通じ、政治への思いが募る

平成維新の会

平成維新の会(大前研一主宰)事務局

日本を大きく変えねばという使命感に突き動かされた 大前研一氏の都知事選を手伝う
当時、交流した、志ある人たちの多くが議員となり活躍している

政治への道

1996年10月 衆議院選挙に立候補(東京10 区:「新党さきがけ」から「民主党」公認となる)

※選挙の直前に日経ビジネスの先輩記者からいただいた激励の手紙は今も大切にしている(下記末尾参照)
落選 予想を超える多くの仲間がボランティアとして手伝ってくれた 感謝しかない
地盤・看板・鞄の無い中での選挙の厳しさを痛感する その後、ほぼ4年間の苦しい浪人時代

ながつま 昭

生まれて初めての集会(200人以上が集まってくれた)
中央で話しているのが本人

2000年6月 衆議院選挙 初当選(東京7区)

当時のキャッチフレーズ:もう、黙っちゃいられん!

2009年9月 厚生労働大臣 就任
2012年 衆議院厚生労働委員長 就任
2015年 民主党代表選挙出馬

岡田克也氏が代表に

2017年10月 立憲民主党代表代行 兼 政調会長 就任
2018年10月 立憲民主党代表代行 兼 選対委員長 就任
2020年10月 立憲民主党副代表
2021年11月 立憲民主党新型コロナ対策本部長
2022年8・9月 立憲民主党政務調査会長、「次の内閣」ネクスト内閣官房長官

(※)初出馬の際、先輩記者からいただいた激励の手紙

長妻らしい選挙をすべきだと思います。傲慢になれ、と言うのではなく、卑屈になるな、と言いたいのです。
政治家として世直しをするのが目的の候補者には、政治家になることが目的の候補者とは違うスタイルがあって然るべきです。
選挙に落ちればただの人、が現実かも知れませんが、現実に妥協を重ねて行けば、現実に絡め取られて、何のために、があやふやになります。
日本の現実は変わっていなくても、変えようとする人間の矜持を忘れずに、他候補との“違い”を堂々と出していくべきでしょう。そうすることで、活路が開けるはずだし、そうでないなら、長妻代議士誕生の意味はありません。悔いのない、自分の選挙を貫いてください。

役職立憲民主党新型コロナ対策本部長
趣味読書、カラオケ、妻と散歩
著書「招かれざる大臣」(朝日新書) 「消えた年金」を追って(リヨン社) 「闘う政治」(講談社)他
愛読書「夜と霧」 「徳川家康」 「三国志」
好物麺類、納豆、マーボ豆腐、葛餅
座右の銘「一日一生」 「至誠通天」 「而今」

オススメの一冊:『夜と霧』

著者ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳)
出版元みすず書房
出版年2002年

お勧めの本として、「夜と霧」をご紹介します。
精神科医であるフランクルが強制収容所送りになり、そこでの壮絶な体験とともに人間の本質を描いたものです。
「あっというまに崩れていった」(同書籍以下同じ)人が多い中でも、「周囲はどうあれ『わたし』を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつ見受けられた」とあります。 
どうすれば、地獄のような環境で自分を見失わないでいられるのでしょうか?
フランクルは言います。「生きる意味についての問いを180度方向転換することだ」と。
私たちは、普段、自分の生きることに、人生に、何を期待するのか、と考えます。
なかなか思い通りにならない場合など、自分の人生に意味はあるのか、などと落ち込んでしまいます。
しかし、そうではなく、逆に、生きることが、人生が、私たちに何を期待しているのか、を問題にせよ、とフランクルは言うのです。
人生、つまり今、生かされている命が、私にどんなことを望んでいるのか?
それを、とことん問うことが、「生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだった」と書いています。
「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ」とも。
コロナ禍の中、人生に対する考え方を変えるきっかけになるかもしれません。

ながつま昭