2014年08月23日
2014年8月23日(土) 「シベリア抑留犠牲者追悼の集い」で挨拶をいたしました
国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催された「シベリア抑留犠牲者追悼の集い」で挨拶をいたしました。69年前の本日(8月23日)は、スターリン指令により捕虜にした日本軍関係者をソ連領内に移送すること始めた日です。
69年前も本日同様、日本では、蝉しぐれが止まぬ日だったのでしょう。私が、シベリア抑留問題に取り組んだのは、10年以上前に、東京都中野区の中野駅南口商店会の会長を務められた平塚光雄さん(故人)との出会いからでした。平塚さんもシベリア抑留経験者で、その後、全国シベリア抑留の会長も務めました。
感慨深いのは、私が厚生労働大臣だった時に、悲願だった「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」(厚労省所管)が成立したことです。これによって元抑留者に国からシベリアでの労働の対価という趣旨も含む特別給付金が支給され、国として抑留者に誠の心を捧げることができました。
同時に同法案では、シベリア抑留の実態調査も義務付けられました。この調査で、平成25年度末までに、抑留中にお亡くなりになった方で、身元が特定された方は総計38,280人となり、うち、新たに600人のご遺族に連絡することができました。しかし、未だ抑留中に亡くなった方のうち、約1万7000人の方は、特定されておりません。また、シベリアやモンゴルで抑留され、現地でお亡くなりになった方の御遺骨は半分も帰ってきておりません。これからも法律で義務付けられている調査を続けるように政府を指導して参ります。
戦争の経験が完全に風化し、だんだんときな臭い社会になっているのは、若者に戦争の惨禍の経験を伝える努力を怠ってきた我々の政治家の責任が大きいと反省しています。
日本は「情報を制限して空気さえ作り上げれば、一気に極端に国全体が動く」、という過去の戦争の歴史がありました。私たち戦後世代の政治家が、国が誤らないように監視をして提言する責務があります。皆様も力を貸してください。