写真日記

2018年08月23日

シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いに出席しました

 本日、ながつま昭は、シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いで、立憲民主党を代表してご挨拶をさせていただきました。
以下は、挨拶の全文です。

 本日、スターリンの秘密司令ではじまったシベリア抑留から、73年目の夏を迎えました。また、暑い夏です。
 私は、立憲民主党のシベリア抑留議員連盟の会長として、党を代表してご挨拶させていただきます、長妻昭です。
 シベリアやモンゴルに抑留され亡くなられた方々に心より哀悼の意を表しますとともに、戦後長らく御苦労をされてきた元抑留者の皆様、そしてその方々を支援し、支えてこられた皆様に心より敬意を表します。
 今や元抑留者の皆様の平均年齢は95歳となっています。昨年、ご挨拶された池田幸一さんも今年2月にご逝去されました。病をおして、会の活動のために上京されている池田さんの熱意に私たちも大きく動かされました。
 民主党政権時代、多くの方々のご尽力により、シベリア特別措置法が制定され、6万9000人の生存者に193億円が労働の対価との位置づけで支払われました。しかし、同法で国の責務として規定される「抑留の実態調査」「追悼のあり方」「次世代への歴史継承」などまだまだ積み残しの課題は多くあります。
 これまでの調査で、抑留中に亡くなった方のうち特定された方は約4万人にのぼりますが、一方で、未だ特定されていない方は約1万5000人おられます。今後、この方々の特定を全力で進めなければなりません。
 また、抑留され、現地で亡くなられた皆様のご遺骨の多くが帰ってきていません。一人でも多く、お戻しするため、今後、さらに取り組みを加速させなければなりません。
 国は、未だ解明されていない一人ひとりのシベリア抑留者の実態を明らかにして、重大な歴史的教訓として後世に継承する責任を追っていることを忘れてはなりません。
 「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉があります。私は、戦争も同じだと思います。「戦争も忘れた頃にやってくる」。先の戦争が「人々の記憶」から「記録」に変わりつつある今、私たち戦後世代が戦争の実態や教訓を、繰り返し、繰り返し、繰り返し、後世に伝えていく。私たちには、この責務を肝に命じてまいります。
 最後になりますが、抑留中に亡くなられた皆様のご冥福と御遺族・関係者各位のご健勝を心よりお祈り申し上げ、あいさつに代えさせていただきます。ありがとうございました。