2022年09月14日
【生きるを考える】ライフリンクの清水さん×長妻政務調査会長が自殺対策について対談
【前編】
コロナ禍での女性、若者への自殺対策の強化は喫緊の課題です。自殺対策に関する国の方針を定める「自殺総合対策大綱」の見直しを控え、長くこの問題に取り組んできた長妻昭政務調査会長が、NPO法人 自殺対策支援センター・ライフリンクの創設代表の清水康之さんと自殺対策について話し合いました。ライフリンクは、「生き心地の良い社会」の実現を目指して、「つながり」をキーワードにした自殺対策を行うNPO法人です。
長妻昭政務調査会長)
自殺総合対策大綱(以下「大綱」)が5年に一度の改定を迎えます。9月10日は世界自殺予防デー、自殺予防週間(10日~16日)でもありますので、清水さんと対談させていただきます。
私はかなり前にライフリンクの報告書を手に取り、そこに書いてあった言葉が強く印象に残っています。「自殺は極めて『個人的な問題』である。しかし同時に社会構造的な問題』でもある」と。その通りだと思いました。
そこから、自殺対策に私も力を入れて取り組むようになりました。民主党政権でも、清水さんには内閣府の参与になっていただき、いろいろな自殺対策が相当進んだと思っています。
現状を見ると、ご存じのようにG7の国で、日本の自殺率、人口当たりの自殺者数が、残念ながら一番多い。昨年1年間に21,007人の方が自殺されておられる。1日に換算すると57.6人。つまり毎日毎日この日本のどこかで、約58人の方が自ら命を絶っておられる。時間に直すと、夜中も含めた24時間で25分に1人の方が日本のどこかで命を絶っておられる。この数字を見ますと、本当に胸が痛くなり、愕然とします。何とか、効果的な形で対策をさらに前に進めていきたいと思っております。
清水さんにお伺いします。大綱に「自殺はその多くが追い込まれた末の」という言葉があります。そして、「その多くが防ぐことができる」と。3番目として、自殺を考えている人は、悩みを抱え込みながらも「サインを発している」。この3つについての清水さんのお考えをお願いします。
NPO法人ライフリンク創設代表 清水康之さん)
そうですね。自殺と言うと、自ら命を絶つ行為を指しますが、ただ日本の自殺の多くは、実は追い込まれた末の死であります。どういうことかと言いますと、失業であったり生活苦であったり、あるいは家族の介護疲れ、子育ての悩み、いじめといったさまざまな要因が複数重なり合う中で、当たり前の暮らしをしていた人が少しずつ生きづらく息苦しくなっていき、もう生きられない、死ぬしかないという状況に追い込まれていく。その末に多くの自殺が起きている。
自殺をするか生きる道を選ぶか、どちらか選択できれば、多くの人は生きる道を選ぶ。ただ、生きる道が閉ざされ、もう死ぬしかないという中で亡くなっていってるわけです。
私たちは、自殺で亡くなった523人について、一人ひとりどういう人柄だったのか、どういう暮らしだったのか、またどういう悩みや課題を抱えて自殺に至ったのか、追い込まれていったのかというプロセスを明らかにする調査をしました。
その中で、平均4つの悩みや課題を抱えていたことが分かりました。生きる道が選べなくなって亡くなっているのです。亡くなる瞬間の行為だけを見て、例えば飛び降りた、首を吊ったとかの行為、その瞬間的な行為としてはもちろん自らそれを行っているわけですが、実際は追い込まれた末に亡くなっている。自殺は、その多くが追い込まれた末の死なのだという捉え方が極めて重要です。
この捉え方をすれば自殺対策というのは、生きることの包括的な支援、つまり誰もが死ではなく生きる道を選べるように、支援をしていく。それを社会全体でやっていくことが、自殺対策の本質です。問題の見立てを誤ると当然ながら対策の処方箋も誤ります。
自殺対策基本法が2006年にできて、その翌年に大綱が作られて、五年ごとに見直しがされていますが、そもそも自殺基本法ができるまで、自殺は個人の問題とされていました。うつの問題、要する病気の問題として捉えられてきました。
そうすると問題の見立てが、実態と必ずしも合致しないものになってしまうので、処方箋を誤まり、なかなか対策の効果が出ない状況でした。しかし、基本法ができて、大綱において自殺対策の捉え方が変わり、社会全体で対策が進んできている中で、その後2010年以降は、自殺が減少する状況になりました。
一昨年はコロナ禍の影響で少し増えましたが、ただ減少トレンドに入ることができたのは、自殺は追い込まれた死であり、自殺対策は生きることの支援なのだという考え方が根底にあってこそのことだと思います。
長妻議員)
今の追い込まれるという話は、時間的な流れの中で、一定の蓄積がずっとあり、それでも改善しない、その末のやむを得ざる形で、自殺の瞬間がやってくるということなのですが、時間的な流れの途中でそれを断ち切るような支援をできるか否かが大きなポイントになると思います。その時にやはりご本人がSOSを出せないとか、あるいは出せたとしても的確な支援が、そこに届かないとか、どのような課題がありますか。
清水さん)
まさにおっしゃる通りで、一定の時間を経て追い込まれていくので、その間に支援の余地があります。
この一定の期間というのも、職業や立場によって追い込まれる期間が異なっていることも、先ほどお話ししたライフリンクの実態調査から分かっています。
一番短いのは、自営業者です。自営業者の場合は、事業がうまくいかなくなると、途端にいろいろな問題が立て続けに起きてくる。ですから比較的短い期間で、もう生きられない死ぬしかないという状況に追い込まれます。
一方、精神疾患を長期患っていたような方は、割と長い時間をかけて、徐々に、追い込まれていく。漠然とした死にたい気持ちを抱えていた人が、例えば自殺報道に触れることによって、しかも報道の中で、手順を報じられると、背中を後押しされる。長期間苦しい中、なんとか生きる道を選び続け、死ぬという選択をせずにきたが、具体的な報道に触れて、具体的に自分が自殺でなくなるイメージを持ってしまうと、実際の行動に近づいていきかねない。
立場や職業等によって追い込まれるスパンが違うと同時に職業や立場によって、どういう悩みや課題を抱え込みやすいか、その悩みや課題の組み合わせも分かっています。
日本で一番属性として自殺が多いのは、失業者も含めて無職者です。まず失業、そうすると収入が絶たれる、生活が苦しくなる。最初は家族や友人からお金を借りて、生活していくが、そのうち断られるようになり、お金を借りられなくなっていく。生活保護だけは受けたくない、あるいは健康で働ける体の自分が、生活保護を受けていいはずがないと誤解してる人もいます。親しい人からお金を借りられない。生活保護も利用しない。仕事が見つかれば返せると思い消費者金融からお金を借りる。仕事が見つからないまま、返済が迫ってくる。そうすると、責任感が強い人ほど借りたお金は、期日までに返そうとし、別の消費者金融からお金を借りて返済に充てて、借りて返して借りて返して多重債務になる。多重債務になると当然ながら、取り立てが厳しくなっていく。家族との人間関係も悪化し、精神的に追い込まれ、自殺に至る。
失業があり生活苦があり多重債務があって、家族関係の不和があり、精神的な病があって自殺がある。例えばこういうプロセスが明らかになってきています。もちろん全員が、どこかのプロセスにあてはまるというわけではないです。ただ、このように類型化できる部分があるので、そのプロセスにはまりそうになった時に、いずれ抱え込みかねない悩みや課題に応じた支援策をパッケージで提供すれば、自殺に追い込まれるプロセス、自殺の「危機経路」と呼んでいますが、「危機経路」が進行せずに済みます。
長妻さんが2009年に厚生労働大臣に就任し、ハローワークでワンストップサービスをやりましたが、それまでバラバラで行われていた相談の支援を、ハローワークを拠点に、効果的なパッケージにして提供しようという画期的な取り組みになりました。
このワンストップサービスは、就労支援や生活支援、住宅支援に加えて、心の健康、メンタルサポートも含めてやっていく。失業者や無職者が一度失業すると、その後どういう悩みや課題を抱えているかということの想定に基づいて、あらかじめハローワークに来た人たちに対してこういう支援策や、こういう相談機関があるということをパッケージで提供しました。まさにいろいろな「危機経路」に即した形で、そのプロセスに合わせる形でやっていくことが非常に重要です。
各ハローワークを拠点に、この基本的な考え方に基づいて、今の自殺対策は進められています。つまり「危機経路」を先回りする形でパッケージとして提供していく。それが、生きることの包括的な支援ということです。
2010年以降10年連続して自殺が減少してきているというのは、既に抱え込んでる複数の悩みや課題に応じて、しっかりと関係機関が連携をして支援をするという形に変わってきているということが、背景にあると私は実感しています。
長妻議員)
あの時は、清水さんが内閣府の参与で、「眠れないのは鬱のサイン」等の総合的な先手を打った対策をけん引役になって引っ張っていただいたと思います。
【後編】
長妻議員)
清水さんの話を聞いて、なるほどと思うのは、失業をしてからの自殺の「危機経路」は、他人事ではないです。誰でも、そういう状況になったならば、最後そうせざるを得なくうなってしまうことは、十分あり得ることだと思います。
「危機経路」の途中で迂回するような対策が本当に必要になってきます。なぜその政策が取られないのか、その原因をお伺いしたいです。
日本は、G7の中で自殺率が一番高い。社会の雰囲気として、行きすぎた自己責任論が広がって、権利が侵害されたといった声も出しにくいのかもしれません。事実、日本ではあまりデモが多くありません。セーフティネットにも大きなほころびがあるのではないか。清水さんがおっしゃる自殺の「危機経路」を辿って最後まで行ってしまう前に、生きる選択につながる迂回経路があればと思うのですが、それを阻害する最大の原因は、日本のどこにあるのでしょうか。
清水さん)
自殺の背景には、社会制度や、文化的、宗教的な問題などいろいろありますが、変え得るものを変えてきたことで自殺死亡率も低下してきているのだと思います。
ただ、日本の自殺死亡率が依然としてG7の中で最も高いという現状は変わっておらず、その要因としては大きく2つあると思っています。1つは、生きる「促進要因」と呼ばれる、自分自身が「生きていていいんだ」「存在していていいんだ」という自己肯定感、あるいは生きる支えとなる将来の夢や、やりがいのある仕事、趣味などがどんどん削られてしまっているのではないか、ということです。
生きるモチベーションがはっきりしている人は、挫折があってもそれを乗り越えて頑張ろうという気持ちになる。でも、そうしたものがなく、特に、周りからいじめられていたり、家庭に居場所がなかったり、周りの目、評価に怯えながらびくびくして生きている状態だったりすると、さらなる負荷がかかった時に、それを乗り越えてまで生きていこうというモチベーションをなかなか持ちづらくなると思います。
積極的に死にたいわけではないけれど、もう生きるのをやめたい。いつも怯えながら生きているなかで、こんな目に遭うぐらいだったら、どうせいいことはないだろう。それだったら楽になりたい、もう生きるのをやめたい、となる。
そういう、生きるための足場となるような、生きることの促進要因がなくなってきてしまっています。
清水さん)
もう1つは、行政の縦割りの弊害が依然として残っていることです。自殺の問題は、複数の分野にまたがって問題や課題が連鎖して起きていますから、その縦割りを超えて、包括的な支援をパッケージにしなければならない。行政は与えられた枠の中で最大適宜、最大効率的に、効果的に業務をするのが役目なので、行政がその縦割りを超え始めると役割分担がバラバラになってしまいます。政治がリーダーシップを発揮して組織横断的に連携できる仕組みを作らないと、なかなか縦割りは解消されないと思います。少なくとも自殺対策においてはまだ十分に機能しているとは言い難いのが現状です。
例えば、子どもの自殺をどこが責任を持って対処するのかと言ったときに、自殺対策全般は厚労省の担当ですが、児童・生徒の自殺というと文科省の管轄となる。ただ、親子間の不和や、その子ども自身の精神疾患など、学校問題以外の部分については管轄ではないと文科省は考えているのではないかと、私は受け止めています。
一方で、厚労省は児童・生徒の自殺は子どもの自殺とイコールだと捉え、文科省に任せる。こうして、子どもの自殺対策をどこが担当するのかが、宙に浮いてしまっている。今度、子ども家庭庁が設置されるので、そこで責任を持ってやっていただくことに期待しています。政治的な意思決定で、子どもの命を守るために関係機関が連携して、その枠組みを作っていくことが問われていると思います。
長妻議員)
自殺対策の関係省庁である厚労省、内閣官房、警察庁、文部科学省からヒアリングをしたところ、自殺対策の担当部局が省庁横断で集まることはないとのことでした。おっしゃるように担当者レベルが集まって、すり合わせをする、かつて民主党政権時代に清水さんに主催していただいた各省担当者レベルが集まるワーキングチームが、今ちょっと途切れているのは課題ですね。
政府も、自殺の促進要因、生きることの阻害要因として、過労、生活困窮、育児や介護疲れ、いじめ・孤立等は認めています。こうした問題は、省庁にまたがっています。政府には横断的に連携し、自殺対策のみならず根本的な問題も深堀りしていってほしいと思います。
今年は自殺総合対策大綱が5年ぶりに見直しされますが、どのように変わるのでしょうか。
清水さん)
8月下旬頃からパブコメ版が公表されていますが、その見直し案のポイントの1つは、子どもの自殺対策の強化です。
しかしながら、子どもの自殺対策を誰が担っていくのか、どこの部署がやっていくのかが、今の大綱の見直し案ではまだ明確になっていません。子ども家庭庁との連携が謳われたので、それを踏まえて協議していただき、子ども家庭庁が担当することになればいいなと思っていますが、子ども家庭庁の位置づけが不足しているように思います。
今回、文科省が子どもの自殺の分析をしていくと初めて謳われました。問題を解決するためには、実態を把握し分析することが重要ですが、子どもの自殺は警察の統計でも、十分明らかにはできません。児童・生徒が自殺で亡くなった場合に上がってくる報告について、学校が把握している情報を文科省がしっかりと吸い上げて分析することは、極めて重要だと思います。
また、5年前の大綱のときにはなかった、SNSを活用した相談や、タブレット、パソコンなどを活用した自殺対策事業が新たに入っているのも特徴です。
私たちライフリンクが長野県、日本財団と連携して設立した、「子どもの自殺危機対応チーム」(2019年10月~)の取り組みの全国展開についても、新たに大綱に入りました。このチームは、県主催で県や教育委員会の職員だけでなく、弁護士、精神科医、心理師、精神保健福祉士、インターネットの専門家、私たちのような自殺対策のNPOなどのメンバーにより構成され、学校からの要請に応じて危機介入支援を行うものです。学校と地域が連携し、学校は専門家の助言や直接支援を受けることができ、また緊急的に保護入院が必要な場合にはチームが病院との調整をする。安心して生徒を支援することができると先生からも非常に好評で、子どもの自殺危機対応チーム的なものを各地域に作っていくことが謳われたのは非常に大きいと思います。
長妻議員)
文科省では小・中学校で必ず一定の時間自殺対策に資する教育をしていると聞いていますが、保護者に対する教育と言いますか、説明、啓蒙といった取り組みはどうでしょうか。
清水さん)
子どもの自殺対策教育としては、2016年の自殺対策基本法の改正を踏まえてSOSの出し方についての教育がようやく始まり、これが徐々に広がっています。
保護者に対する取り組みとしては2つあり、1つは保護者を巻き込んでの子どもを支える体制、チームを作っていくという意味でのアプローチです。最近は学校と家庭のつながりが薄くなっているところもあり、学校と保護者だけでなく、例えば地域の保健師さんなど第三者的な方にチームに加わってもらい子どもを支援していく。保護者をどう巻き込んでいくかと同時に、巻き込むためには保護者の理解が必要です。
大綱のパブコメ版にも入っている精神疾患に関する教育については、今年度から高校での精神疾患に関する授業が再開されました。ただ、精神疾患の発症の平均年齢は14歳くらいと言われていますから、高校では遅いんです。小学校高学年、あるいは中学校ぐらいからしっかりやっていかなければいけないと、思っています。保護者の理解も重要で、きちんと伝えるために保護者が多く集まる入学式で説明した学校もあると言います。精神疾患や自殺リスクを理解することは命を守ることにつながるわけですから、そういうことをしっかり伝えていく。保護者を巻き込む仕組みが必要です。
もう1つの課題は、保護者が自殺リスクの要因になっている部分もないわけではないということです。その場合は、むしろ保護者も支援対象になる。しっかりと見極めた上で、子どもと、家庭をどう支援するかということです。そこを見誤って保護者をチームに加えてしまうと、保護者が子どもを追い詰めることにもなりかねません。今は保護者も孤立しながら子育てをしている家庭が少なくないわけですから。子どもを守るためには、子どもが暮らす環境の改善が必要で、学校だけでなく地域の専門家である保健師や民生委員に入ってもらい、子育てを孤立させずに地域でしっかりと支えていく仕組みを作ること。保護者支援を通じて子どもへの支援につながっていくのだろうと思います。
「異常事態」に取組む決意が必要
長妻議員)
コロナ禍が3年近く続き、特に女性や子ども、若年層の自殺が増えているなか、政府もいろいろな対策のメニューを作っています。現状をさらに改善していくために、今の対策で最も抜けているところはどういうところだと考えますか。
清水さん)
最大のポイントは、優先順位だと思います。自殺対策について国会、あるいは政府の中で議論される時間は極めて限られています。その一方で、経済対策をはじめ、他の施策には膨大な時間が費やされるわけです。経済は生活を支えるための基盤ですのでもちろん大事ですが、毎日約58人が自殺で亡くなっている。これはもう異常事態としか言いようがありません。にもかかわらず、それが続いていくうちになんとなく慣れてしまい、当たり前のような状況になっているのではないか。かつて毎年3万人を超えていた自殺者が2万人前半になり、年間で見ると約1万人も減っているではないかと思われがちですが、減っているのではなく、増えるペースが少し遅くなっただけです。この状況を社会として、あるいは政府として、国会としてどう捉えるのか。この異常事態に対し、優先的に取り組む決意、覚悟が一番足りないのではないかと思います。
長妻議員)
本当に今おっしゃるように、異常事態だという認識を私たちも持たないといけない。お話にあった、自殺までの「危機経路」の途中で、死ではなく、生きる方向に迂回していただくために、ご本人が声を上げる、声を上げられる環境を作る、あるいは周りが、行政が見つけられる仕組みを作る。根本は、過労死や生活困窮、孤独死、育児や介護疲れ、いじめといったさまざまな社会課題を政策的に改善していくこと。そして、行き過ぎた自己責任論ではなく、声を上げやすい、的確な相談体制を作ることだと思います。でも声を上げられない、上げようとしない方々に対する対応、きめ細やかな目くばりが必要ですし、清水さんなどの活動も本当にありがたいと思っています。われわれも総合的に、「危機経路」の途中で生きる方向に歩みを進めるための対策を取っていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。