2022年10月12日
立憲民主党の目指す社会とは 「ビジョン22」に込めた思い 長妻昭政務調査会長×京都芸術大学教授 本間正人さん
※立憲民主党ホームページからの転載です。
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立憲民主党は今年1月、転換期にある日本が何を目指すべきか、長期的・歴史的な視点に立って議論し、持続可能なビジョンを考える「持続可能な社会ビジョン創造委員会」を設置。5月には「ビジョン22」を取りまとめました。立憲民主党の目指す社会とは、「ビジョン22」をどう位置付け、実現させていくのか。長妻昭政務調査会長と、同委員会のコーディネーターを務めた京都芸術大学教授の本間正人さんが対談しました。
ケアは自己責任の対極にある
長妻)「ビジョン22」の取りまとめにあたっては、本間さんをはじめ多くの有識者の方にご参加いただきました。前文の冒頭に「心Caring お互いの声を聴き合い、心を寄せ合う」とありますが、私は人工知能が発達して全ての仕事が置き代わっても、どうしても置き代えられない仕事が「ケア(手当)」だと思っています。お子さんや高齢者、あるいは病気になった方、障がいをお持ちの方に対するケアといろいろありますが、この「ケア」を誰が担っていくのかを決めるのが民主主義の根幹をなす役割で、政治の大きな役割だと思っています。
本間)安倍政権は「悪夢の民主党政権」などと言って印象操作だけは非常に上手かったのですが、実際のところ社会は良くなっていません。株価以外の経済指標はみんな悪化し、国民の生活はどんどん悪くなり、窮乏化し、貧富の差は拡大している。にもかかわらず、政府は「自助努力」「自己責任」を強調し、あまりにも冷たいのではないか。
「ケア」は、ある意味「自己責任」「自助努力」と対極にある政治の重要な役割です。ケアリングソサイエティ、お互いに他の人を大切にする社会を作っていく必要があると思います。
持続可能性な社会に必要な「学び」とは
長妻)「立憲民主党が目指す社会像を一言で分かりやすく説明してほしい」とよく言われますが、なかなか難しい。私は、「全ての人に居場所と出番のある社会」「生きる喜びを倍に、生きるつらさを半分に」「人から始まる日本再生」などいろいろな言い方をしていますが、コンセプトを包摂した分かりやすい概念、言葉は何かとずっと考えています。
体質の違いを表現すると、われわれは「上からではなく下からのボトムアップ」「行き過ぎた自己責任論でなくて社会で支える」、そして多様性も含めて「閉じているものではなくて開いている」。こういう違いはありますが、そうした方向性を端的に表す一言はどのようなものがあるのか。その中の1つのヒントが、本間さんが強調される「ラーニング・プラネット(Learning Planet)」「アンラーニング(Unlearning=学び落とし、学習忘却)」といった、「学び」だと感じています。
本間)「ビジョン22」の各論で「最新学習歴」という言葉を入れていただきました。学校教育はもちろん大事ですが、人生百年の中で見るとごくわずかです。にもかかわらず、そこでの学びを「最終学歴」と表現し、過剰に尊重し、それ以外の社会や家庭、コミュニティーなどでの学び、さまざまな実務経験が最終学歴ほど尊ばれてきませんでした。
急激に変化している社会では、大人も学び続けていかないと日本の未来はありません。それは単に自分のためではない。日本の未来、世界全体、地球社会全体、プラネタリーのことを視野に入れて学んでいかないといけません。例えば、新型コロナウイルスなどは国境に関係なくどんどん入ってくる。地球温暖化も、日本だけでは対応できません。2023年には世界的な食料危機に直面するとも言われています。緊急な課題がある中、政治はこんなものだ、行政はこうだという、過去の常識にとらわれている。アンラーニングというのは、過去の常識から脱却して新しい状況に対応すること。「レスポンシビリティ」と言いますが、立憲民主党はいろいろな変化にダイナミックに対応できる力があることを有権者の方にご理解いただきたいと思います。
長妻)今私が個人的に考えているのが、40歳前後に1年間、一定の所得を保証する仕組みを導入して学び直しができる制度です。22、23歳で大学を卒業した後ずっと社会で生きていくと、どうしてもそこで学んだものは少し昔のものになる。最終学歴ではなく最新学習歴がどんどん重要になると思います。
本間)子どもだけでなく、大人も学び直せる権利を持っている。そういう社会になっていくことが持続可能な社会づくりの重要な柱の1つになると思います。立憲民主党には、過去を振り返って大切なことは残しつつも、未来にきちんと対応していく社会を目指してもらいたいです。
同調圧力の克服が課題
本間)日本の学校では、自分で考えること、自分の人生を自分で切り開いていくことが必ずしも奨励されていません。今の政権が目指している教育の方向性は、黙って言うことを聞く国民を育てようという流れになっています。しかしそうではなく、自分で考えて自分の意見を発表し、意見の違いがあれば、きちんとすり合わせていく。そういう対話、ダイアローグが学校の中で練習されていることが民主主義社会を形成する土台になると思っています。
長妻)日本では正しいことは一つしかない、という教育です。政治の体質を含めて、長期政権になると教育もそういう方向で、私も国会で問題視してきましたが変わらず、小中学校では道徳の授業も通信簿に評価をつけるようになってしまいました。
本間)正解は一つしかない、ということはなく、教科書に書いてあることも全て仮説です。「今の時点では多くの科学者がこう考えている」程度のことに過ぎません。「クリティカル・シンキング」を、「批判的思考」ではなく「吟味的思考」ととらえ、自分の感覚に照らして吟味してみる能力が大事です。ともすればレストランを探す時にも「このお店は星が4つ」など人の評価をあまりにも気にしすぎている。これが同調圧力でもあり、今の日本が克服しなければいけない課題だと思います。他者の評価を気にすることは悪いことではありませんが、気にしすぎると、自分がどう思うのか、どう考えるか、どういう人生を自ら切り拓いていくのかにブレーキをかけてしまいます。まさに「居場所と出番」を自分で作り出していく。政府はそれを応援するというバランスが、未来の日本社会に求められると思います。
多様性の尊重と「地域の学習力」の向上
長妻)集団同調圧力、行き過ぎた自己責任論は日増しに高まっているように感じますが、立憲民主党は綱領でも「多様性を尊重する」と掲げ、そこは今の政権との大きな違いです。
本間)ケアリングソサイエティ、やはり心を寄せ合う社会は大事ですし、今日の話の中心である、学びの話で言うなら、僕の個人的な好みとしてはラーニングソサエティ、本来の意味での「学習社会」です。今伸びている地域は地域の学習力が高い。それは他の地域の事例を学ぶだけではなく、地域にある持ち味、地域資源を最大限に活かしているのが地域の学習力の高い社会だと思っています。自然との調和や、和を尊ぶ精神、英語で言えばハーモニー。同じ音を重ねるユニゾンに対し、ハーモニーはド、ミ、ソと音が違うからこそ音の広がりが出てくる。調和であり、学習であり、そのあたりが僕の好みの未来社会像です。持続可能性を担保するためには多様な要素、多様な意見、多様な立場が受け入れられる、バランスが取れている、調和している社会であることが重要です。
長妻)「地域の学習力」が高いところは問題の解決が進んでいるというお話もハッとしました。そういうことも加味して、今の政権とは一味違う日本再生のプログラム、ビジョンを作り上げていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。