写真日記

2022年12月26日

「自己責任論を超えてコロナ禍を生き延びる」脚本家 梶原阿貴さん×長妻昭 政務調査会長が対談

2020年11月16日午前4時、渋谷区幡ヶ谷のバス停で休んでいたホームレスの女性が、近所に住む男性に石などが入ったポリ袋で頭を殴られ死亡しました。その事件をモチーフにした映画「夜明けまでバス停で」の脚本家の梶原阿貴さんを迎えて、長妻昭政務調査会長が「自己責任論を超えてコロナ禍を生き延びる」と題して対談しました。

<映画「夜明けまでバス停で」>

監督:高橋伴明 出演:板谷由夏、柄本明、根岸季衣 等 ※敬称略

梶原阿貴さんのプロフィール: 脚本家 俳優 日本シナリオ作家協会理事 日本映画大学非常勤講師

 

コロナ禍、バス停で殺害された女性ホームレス「彼女は私だ」

 

長妻)事故現場の渋谷区幡ヶ谷は、私の選挙区内でもあり大変ショックを受けました。何度も現場に行き、お参りし、一周忌も参りました。「彼女は私だ」という運動も起きました。 本当にやるせない事件です。理不尽というか、社会を覆う空気の力、同調圧力にあらがおうとして、なかなかあらがえない。「自己責任」という言葉が映画にも出てきましたが、空気が強くて声を上げられない社会全体のあり方について考えさせられる作品だと思いました。

梶原)そもそもこの映画を作ろうと思ったきっかけは、私もバス停のすぐ近くに住んでいたことがあり、事件当時は引越していましたが、私がこの大林さんを見かけていたら、何ができていたのだろうか。何ができなかったのだろうかと考える中で、亡くなってしまった後にできることは何だろうかと考えました。私は映画を作る人間なのだから、これを映画にして多くの人に観てもらうことで、彼女の死を忘れずに、もう一度こういう社会について考えていただくきっかけになればという思いだけで作りました。

長妻)報道によると、加害者は近所に住む、引きこもり気味の男性とのことでした。事件の後、裁判が始まる前の保釈中に死亡(自殺とみられている)し、動機も含めて裁判でも明らかにはなっていません。

 

映画の中では加害者も被害者もつくらない、社会の理不尽を問う

 

梶原)この事件を、単なる個人対個人の問題と思ってほしくない。これは社会が生んだ事件ではないか。例えば、加害者側を見てみると8050問題(※1)になります。社会の問題として皆で考えてほしいということを提案したかった。映画の中では、殺されない、殺させない。加害者も被害者も作らないという思いをエンターテイメントの力を借りて広めていけたらと作りました。
※1:80代の親とひきこもり状態の50代の子が同居する世帯の孤立化・困窮化に伴うさまざまな問題をさす。

長妻)共感します。どのような事件でも、加害者と被害者がいますが、社会的背景はどうだったのかに、なかなか思いが至らない。その事件の背景や根底にある社会構造的問題を深堀りするということが、最近はマスメディアも少なくなっている。映画という形で時間をかけて作り上げていくのは、共鳴する試みだと強く思います。

捜査を長らくやってきた警察官の方々が異口同音におっしゃるのは、犯罪は悪いけれど、そこには背景がある。その背景をなくさない限り常に犯罪者は生まれる。犯人を裁くと同時に、その事件の背景にある社会についてもなんらかの改善を促すなど、セットでやっていかないと、犯罪はなくならないと映画を観て強く思いました。

 

生活保護で命が救えない理由

 

梶原)舞台を新宿中央公園にして、都庁を映すということで象徴したのは、こういうさなかオリンピックをやったことへの批判を込めました。コロナでこんなに大変な時に、公園に住んでいる人たちを排除して、オリンピックを行いました。元々、オリンピック招致の時に、福島の第一原発を「アンダーコントロール」と語ったことから始まったオリンピックに対する怒りを込めました。

長妻)ホームレス状態や生活困窮状態にある人の支援を都庁の真下でやっている、「(認定NPO法人自立生活サポートセンタ)もやい」の手伝いをしたことがあります。相当な人数、リーマンショックの時を超えた人たちが並んでおられて、若者や女性も多いです。 上を見ると都庁の立派な高層ビルがあって、その真下にホームレスの方たちがブルーシートと段ボールの所に住んでいる。そこを毎朝、都庁の職員の方が通勤で通り過ぎていきます。本当に象徴的な場所です。

私もホームレスの方とお話する機会がありましたが、1、2年くらい屋外で生活、ホームレスになると、精神的に相当きつくなり、精神疾患になってしまう方も多いということです。報道によると、大林さんは4年間くらい家がなかった。4年間は相当長い期間です。分かった範囲では生活保護の相談も申請した形跡もないという報道がありました。 映画の中でも、すごく真面目で自己責任感の強い女性として描かれています。実際もそうだったと思います。人に迷惑をかけてはいけないという人で、すごく責任感の強い人から崩れていく。そういう社会を本当に変えていかないといけません。

梶原)役所の職員が「保護なめんな」(※2)と書かれたジャンバーを着て、生活保護を申請させないようにしていたことがありました。数字で見ると、生活保護の捕捉率は10%台(※3)で、受給資格のある人たちのほとんどがもらっていない状態が続いています。 生活保護の対象であってももらってはいけないとしつけられてきました。それこそ自己責任論を含め、小さい時から人に頼るなという教育を受けてきました。社会全体もそのような空気ですし、国の首相に「自助、共助、公助そして絆」と言われると、ますます自分で何とかしないといけないと思ってしまいます。おかしなメッセージだと思います。
※2:小田原市の職員が生活保護受給者を訪問する際に、「保護なめんな」などとプリントしたジャンパー着用していたことが問題になった。
※3:日本弁護士連合会HP生活保護Q&Aパンフ (nichibenren.or.jp) 2010年生活保護の捕捉率15.3-18%

長妻)行政は、こういう事件が起こると、「相談窓口があるのに、なぜ相談してくれなかったのか」と安易に言いますが、実際には声を上げにくい、相談しにくい。日本は自己責任論が行き過ぎてしまったと私は思っています。生活保護は、本当は憲法で保障された権利ですが、人の目もあるし、申請すると非難されるのではないかとためらう。権利を主張しにくい空気が日本には強くあります。

梶原)自己責任という言葉が出てきたのは2004年のイラクの人質事件が発端だと思いますが、あの時から安倍政権を経て、どんどん加速度的に強くなっていきました。 生活保護は恥ずかしくないし、生きるための権利だというメッセージが全然届かない。ホームレスになる人は、だらしがない、怠けている、働く気がないのだといった偏見があります。

長妻)ホームレスの方に、生活保護を受けない理由をそれとなく尋ねると、一つは「本気で言っているのか、国の世話なんてなれない、自分で生きなければいけない」と質問自体に怒って答える人。もう一つは、1回生活保護を受けた時に、扶養照会で故郷の親族に通知が届き、兄弟から「みっともないことをするな」と怒られて、また路上生活に戻らざるをえない人もいました。 日本は祖父、孫にまで扶養照会がいくことがある。そんな国は諸外国ではありません。日本くらいです。国会でもとりあげて、政府も徐々に改善する方向のことは言っているのですが。

梶原)扶養照会が生活保護申請の相当なハードルになっています。あと、住所がない時点で10万円の給付金もおそらくもらえない。一番必要な人たちの所に10万円は届かない。問題がありすぎて、どこから手を付けて良いのかと思います。

 

社会を引き裂く貧困・格差

 

長妻)社会が分断され、身近に貧困・格差に喘ぐ人がいない人たちが、あの人たちは自分たちとは違う人たちだという意識が強まっているように感じます。しかし、私も含めて誰もが、一つ二つの何かが起これば、今の日本では、いつでも家がなくなるリスクがある。誰でもそのようになる可能性があることをもっと知ってほしいです。

映画の中でもう一つ印象的だったのは、彼女が働いている居酒屋の情景です。上司のパワハラ、外国人労働者、高齢のホームレス女性などいろいろな立場の方が出てきます。

梶原)能力がないのに二代目だというだけで、権力を振り回すマネージャー。居酒屋という小さな社会でも、日本社会全体で起こっていることの縮図があります。被害に遭うのは、特に中高年の女性、非正規の女性で、リストラされるのも彼女たちが先というのは、今の縮図として描きたかったことです。

長妻)自分が非正規なのは自己責任、自分の努力不足だとおっしゃる方が多い。非正規雇用が被用者の4割を超える今、社会構造的な問題、自分の努力でどうこうできない問題です。その社会政治の問題と自己責任を混同すると、自分で抱え込んでしまう。しかし、それはわれわれ政治の責任でもあります。

映画「夜明けまでバス停で」の脚本家 梶原阿貴さんと長妻昭政務調査会長が対談し、コロナ禍で露呈した日本社会の分断と「 #彼女は私だ 」と自分ごととしてとらえる想像力が人と人をつなぎ、命を救う力を生んでいくことについて語りました。

 

右左で揉めているうちに、社会は上下に分断された

 

長妻)社会の分断が進んでいると感じます。昔は多くの人が公立の小中学校に通い、周囲にはいろいろな人たちがいました。今は、小学校から私立に通い、経済的に恵まれている人に囲まれて、会社も大企業に入って、友達や同僚も含めて一生貧困とは無縁の環境で人間関係を結んでいる階層が出来上がっているのではないでしょうか。なかなか、貧困格差の話がぴんと来ない。

梶原)上下で格差ができています。政治家も国民も、もはや右とか左とか揉めている場合でない。ということを国政に訴えたい。そうやっているうちに、社会は上下になって上の人だけ良い思いをして、社会の底は抜けて下の人は落ちていく。そんな社会でいいのか。

 

想像力の無さに対して想像力で闘う

 

梶原)コロナ禍で東京都は「ステイホーム」と言いましたが、ステイするホームがない人にどう聞こえるか。想像力がなさ過ぎます。想像力の無さに対して、われわれ表現者は想像力で闘うしかない。政治家とは違うアプローチで広めたいと思っています。

長妻)今回の事件が起こった時、自然発生的に湧き上がった「 #彼女は私だ 」というメッセージは的確だと思います。今の日本では、いつでも自分もそうなるリスクがある

梶原)自分の友人に障がい者がいれば障がい者問題がリアルに自分事として考えられでしょうし、在日、外国人の方、その国に行ったことがあるとか、その地方に行ったことがあるだけで、全然共鳴度合いは変わります。狭い世界で生きていると、そこだけがその方の世界になってしまいます。もっといろいろな人と関われば、みんなが自分のこととして考えられるようになると思います。

自分だけが良ければいいという人が多くなっていますが、それはトップの人がそういうメッセージを発しているというのもあると思います。自分と自分の仲間が良ければいいのだと8年以上の政権の中で、トップが発してきた。今の若い人たちは、それしか知らないから、そこは非難できない。トップから改めて、みんなが自分とは違う人たちに少し優しくなったら、いい国になるのにと思います。

長妻)人間は非常に共感力のある生き物だと思います。多くの方たちに悪気はないと思いますが、ただ共感はその周辺だけになるきらいがあります。SNSが発達しても、意外に、少し距離のある方とも交流し共感していくことが難しい時代になっているのではないでしょうか。

 

 「社会の底が抜けた」政治への怒り

 

長妻議員)(政治への怒りを象徴する)エンドロールに込めたメッセージは?

梶原)問題になり話題になるかなというのもありました。けしからんという人の声がもっと多いと思いきや、この2年半のコロナ禍で蓄積した怒り、不満がたまっているからこそ、意外と賛同の声が多かったです。

柄本明さん演じる元過激派のバクダンを出したのは、コロナの2年半で社会の底が抜けたのではないかというのを伝えたかったからです。この50年スパンで考えて、あの(安保闘争)時代に彼らが何をして、何ができなかったのか。そのできなかったことが今にどう影響しているのか。あえて過去の政治家の名前を列挙することで、できなかったことが今どうなったかを、メッセージとしてリアリティを持って伝えたかったのです。

映画では「政治が悪い」と言っていますが、政治家に投票しているのはわれわれ国民です。表に立っているのは政治家、みんな一人ひとり、投票に行ってくれと思うし、一人ひとりの考えを本当にもうそろそろ変えないと、本当にやばいですよ。明日はわが身です。まじめにやっているからと言って、安心してはだめですよ。本当に危機感を持っていただきたいと思っています。

 

政治に望むこと

 

梶原)おかしいことはおかしい。嘘ついたらいけない。間違ったら謝ろう。「モリ・カケ・サクラ」の追及をきちんとやってほしいです。トップが言ったことをみんなで隠すことが、民主主義ではない。

民主主義の大前提として、国民の代表である国会議員が国民に向かって「『こんな人たち』に負けるわけにはいかない」という言葉を言った瞬間に終わっています。その政権が続いたことが、どんどん悪い状況を生んだと思っているので、これを機会に本当に考えてほしいです。

長妻)分断を煽らないということですよね。

梶原)トップから分断のメッセージを発してしまったことは本当にNGです。

長妻)いろいろな方の人生を見る、お聞きすると、私でも、誰でもそういう境遇になり得る。「すべり台社会(※4)」という言葉もありました。そこを肝に銘じて、自戒をこめて、他人事ではない、それは政治がはやらないといけないと強く思います。

映画などを通じて、自分事として少し考えてもらう機会が増えれば、人間は、根は本当に共感できる優しい生き物だと思います。共感がないと、戦争とかいろいろな争いが起こるので、共感を広げる仕事は本当に素晴らしいと思います。

※4:「反貧困: 『すべり台社会』からの脱出」(岩波新書)湯浅誠著の中で、憲法で保障されている必要最低限の生活を維持するための、さまざまなセーフティーネットが機能せず、うっかり足を滑らせたら最後、どこのセーフティーネットにも引っかからずに最後まで滑り落ちてしまうような社会を指している

 

映画に託した希望

 

梶原)この映画で伝えたい希望とは、被害者と加害者を作りたくない。想像力のない世界に対して、こちらが想像力で闘いたいということ。

「一度ぐらいちゃんと逆らってみたかった」という主人公のセリフがありますが、弱い人の声にちゃんと耳を傾けないと、人は追い詰められたら、本当に怒ったらどうなるか。

そして、みんなも声を上げてみたらもしかしたら変えられるかもしれないよ。もっと怒れ。みんなもっと怒れ、言いなりになるな。このメッセージは込めています。

長妻)印象に残るのは、最後、正社員の居酒屋の女性店長が退職金を出すように会社とかけあって、勝ち取り、主人公に退職金を渡すシーンです。集団同調圧力が厳しい中でも、やはりこれは声を上げないといけないという思いで闘って、普通の人でも闘って勝ち取れることが目に見えたのは、少し救いだったと思います。

梶原)人と人とのつながり、最後まであの店長が彼女のことを気にかけて、彼女にちゃんと退職金を渡すという、一人でもそういう人がいれば、たぶん変えられる。それぞれがちゃんと人とつながっていれば、死ななくて済むのだということも映画に込めました。

長妻)私が今の日本社会沈滞の原因として挙げているのが、「格差拡大に無頓着な政治」「多様性を認めない社会」「行き過ぎた自己責任論」です。この3つの壁が集団同調圧力を強めて、声を上げにくい社会を形作っていると考えています。その壁をぶち壊すことは政治だけではできません。社会は政治家だけで変えられません。暮らしの中で、理不尽なことがあっても、なかなか声を上げることはできませんが、ただよほどの時は、それぞれが声を上げていく社会であれば、もうちょっとよくなるのではと思います。

「 #彼女は私だ 」のように自分とは違うと思っていたが実は同じだったというメッセージが広く社会を覆い尽くすように、私たちも努力してまいります。

この話は締めくくって終わる話ではなく、深刻なずっと続く暗いトンネルのような話ですが、なんとかそれを打開できる道をあきらめずに追求してまいります。本日は貴重なお話をありがとうございました。